「幸せな時は不思議な力に守られてるとも気付かずに」

自分で「なんとかしてやる!」と力むと、それは本当に複雑なあやとりのようにむつかしい。「これがこうなってああなって…」「ああ、もうっ!」、となる。
でも「不思議な力」に「お願いします」「いつもいつもどうもありがとう」と素直に寄り添ってみると、なぜだか幸せな心持ちになってしまうのだ。
決して状況が変わっていなくとも、そうなって。「これでいいのか」「これでいいのだ」というような一人問答をしていたりする。
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最近寝不足だから、11時には床に就きたい。昔は5-6時間睡眠がちょうど良かったのに、最近だと7-8時間は確保したい身体になってしまった。
22:30に寝て、6:30に起きるというのが一番心地良いリズム。家族がいなければ23:00〜7:00。今日なんて8:00まで寝ていただけで、「かなちゃんどうしたんだろう、見てきて」という母の声が聞こえてきた。「あ〜息してなかったりして〜」とか言いながら妹が見に来たので、ニヤニヤしながら「おはよう」と迎えてやった。寝ぼけた顔の人が布団の中でやけているのは、相当気持ち悪い。
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そんな感じでいっぱい寝て、腸マッサージにもトライしてみて(老廃物排出!)、「これで肌完璧になっちゃったりして〜」と期待していたにもかかわらず、あごに史上無いくらいに大量のニキビが発声してしまった。くすん。
腸マッサージは「腸って重要な気がするんだよなぁ」と考えていた時に借りた雑誌にドンピシャ記事が載っていて、それからトライしている。こういうシンクロは、本当にびっくりするけれどとても有り難いもので、嬉しい。
今日も、雑誌を見て「これ読みたいナァ」とチェックしていた小説が、地下鉄駅の文庫本コーナーにドンピシャ置いてあったという奇跡。普段そんなコーナー見たりしないのに、前に歩いていたおばさんに付いていくように見に行ってしまったのだ。よくわからない導きにびっくりしすぎてぶるぶるしてしまった。
こういうシンクロとかタイミングの良さは、親しい人と同じ時期に同じようなことを考える、という形で現れることもあるという。タイミングについてボンヤリ考えているときにちひろちゃんから「タイミング!」というコメントをもらってこれまたびっくりであった。
これまで、自分の力で全部何かしている気分で、鼻息荒くして生きてきたような気がするけれど、世の中とはそういうものじゃないのかもなぁ、なんて思う最近だ。
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とか何とか言ってるこの文章自体が、「複雑なあやとり」みたい!長すぎる!
そろそろ寝ましょうか。